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無縁化、社会的孤立――「貧困集中地区」から見える日本 - Yahoo!ニュース

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遠藤智昭

2017/04/21(金) 11:26 配信

オリジナル

血縁・地縁・社縁を失った人々が高齢化したとき、地域はどうあるべきか。その課題が真っ先に表れてきたのは、貧困が集中する地域だ。2003年からあいりん地区(通称・釜ケ崎)のフィールドワークを続け、『貧困と地域』を刊行した社会学者・白波瀬達也氏と、20年以上にわたり貧困の現場で支援活動を行う湯浅誠氏が語り合う。(構成:ノンフィクションライター・古川雅子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

どん底の不況の中の活気

湯浅 白波瀬さんとあいりん地区との関わりはいつからですか?

白波瀬 関西学院大学の大学院に進学した2003年です。世間では「格差社会」が時代のキーワードになり始めていました。

湯浅 私は1995年から東京の渋谷を中心にホームレス支援活動を始めましたが、しばらくはあいりん地区のような「寄せ場」(日雇い労働者が集まる地域)と言われる地域には行ったことがありませんでした。

2000年ごろに東京の山谷に行って、驚きました。路上で寝ている人がいたり、平気でたき火をしている人がいたり。路上で寝ている人は渋谷にも新宿にも池袋にもいましたが、彼らは街の片隅でひっそりと生活していました。山谷では、野宿者や日雇い労働者が街の中心部で生きていた。

同じ頃にあいりん地区にも行って、さらに驚きました。喧騒の度合いが違う。街の辻々に人々がいて、活気がある。混沌としていた。

白波瀬 あいりん地区でも、1990年代前半にバブルが弾けると関西の建設需要が冷え込み、日々の宿泊代を工面できなくなり、路上で夜を過ごす労働者が急増しました。1993年の新聞ではあいりん地区だけで700人の野宿者がいると報じていましたし、90年代後半には千人を超えたといいます。

ところが、1995年の阪神・淡路大震災で建設需要が少し盛り返した。湯浅さんがご覧になった混沌の中の「活気」はその名残かもしれません。

家庭的なスラムから、個人的なドヤ街へ

湯浅 「寄せ場」でも、都心の野宿者のテント村でも、社会の憂き目にあった人々が寄り合う場所には、共通して独特の雰囲気がありますよね。渋谷でホームレス支援をしていた時、飯島さんというおじいさんがいました。会うと必ず「おっちゃん、タバコくれよ」と寄ってくる。知的障害があって、施設にいたのが逃げ出してきたのかもしれない。放浪癖があって、しばらく見ないなと思ったら、名古屋に行っていたとか、東北に行っていたとか。歩いてですよ。そこにいるみんなは、飯島さんに弁当を分けたり、金が入れば飯を食わせたりする。でも、その人が負担になるような感じはないんです。「みんな、すねに傷持ってるんだからさ」というような、おおらかさを路上は持っていました。

白波瀬 寄せ場でもそういう光景が見られます。

湯浅 貧困層が居住する場所という意味では「スラム」という言葉もあります。ドヤ街(ドヤは宿〈やど〉の逆さ言葉で、簡易宿泊所のこと)のイメージが強いあいりん地区ですが、白波瀬さんの著書『貧困と地域』で興味深いのは、「釜ヶ崎は『スラム的な性格をもつドヤ街』」と書かれていることです。

白波瀬 1960年代までは、釜ケ崎には子どものいる世帯が比較的多く住んでいました。1961年には、この地区にあった萩之茶屋小学校(2015年3月閉校)には1290人もの児童が在籍していました。

3畳間に家族全員が過密状態で住まうような環境で、スラムの住民たちは、子どもの不登校や、売春で生計を立てる女性などの問題を抱えていました。その代わり、家族持ちが多く、定住性も高いですから、人間関係は比較的緊密です。

ところが、1970年の大阪万博に向けて日雇い労働力の集積地としての性格が強まり、単身男性が集まるドヤ街の色合いを濃くしていきます。

湯浅 山谷や釜ケ崎は、安くていつでも使える労働者を資本の要請で生み出して行ったんだと語られることが多いですが、違う面もあるのではないかということを、白波瀬さんは本書の中で描き出しています。つまり、60年代に行政のスラム対策によって斡旋された公営住宅へ移った人、転居できる経済力のあった人などが抜けていき、残ったのが、最も厳しい境遇にある日雇い労働者だった。結果的に、労働問題がせり上がってきたのだ、と。

白波瀬 はい。この地区の問題は、すべてが日雇い労働者の貧困問題に集約できるわけではありません。そして、なんらかの課題を抱えた人たちが取り残されていく状況は、どんな地域でも起こりうる。僕がこの本で書きたかったのは、「地域」という視点で貧困問題を見ることの大切さです。

湯浅 非常に現代的なテーマだと思います。

無縁化、社会的孤立――「貧困集中地区」から見える日本 - Yahoo!ニュース

孤立死、他人事ではない

白波瀬 先日、「東洋経済オンライン」に、あいりん地区の単身高齢生活を取り上げた記事を寄稿しました。「社会的孤立の帰結としての孤立死があって、あいりん地区ではこうなっていますよ」と。

湯浅 私も読みました。

白波瀬 そうしたら、「俺と一緒やん」という反応が多かったんです。例外的な地域だと思われてきたあいりん地区が、「自分たちの未来の課題と地続きの場」と捉えられるようになっている。「それの何が悪いの?」という声もありました。孤立死を社会問題であるかのように論ずることへの違和感です。「ひとりで生きて、ひとりで死んでいけばいいじゃないか」と。社会全体の個人化が想像以上に進んでいることを実感しました。

湯浅 その傾向は確かにあります。

白波瀬 だからといって「地縁を育みましょう」というような単純な解ではないとは思います。ただ、興味深いのは、無縁化の最先端を行くようなあいりん地区で、数年前から、弔いへの関心が高まっていることです。

「いつ死のうと構わないし、自分が死んで悲しむ遺族もいない」とぶっきらぼうだったのが、「やっぱり葬式はあげてほしい」とか、「自分と似た境遇の人の葬式なら参列する」という人が増えている。

湯浅 慰霊祭も開かれるとか。

白波瀬 はい。毎年お盆に夏祭りの一環で慰霊祭が行われます。いつもはバラバラな人々も、この時だけは祭壇に集まって、静かに祈ります。

湯浅 血縁・地縁・社縁がないと「無縁」と言われるわけですが、あいりん地区や山谷にある縁はそれらのいずれでもないんですよね。だとすると、「別の縁」でがんばっていくしかない。しかしそこに、現代社会全体へのヒントもあると思います。無縁社会を悲観するだけでなく、地縁・血縁・社縁以外の縁を創る。そうして、いわば「豊かな無縁社会」を目指す。新しいかたちの弔いや慰霊祭はそのための取り組みであると考えれば、希望でもある。貧困地域を美化したり神話化したりする必要はありませんが、単に見下したり、忌避したりするのではなく、せっかくの蓄積を正当に評価する視点も持ちたいですね。

再開発による変化

白波瀬 あいりん地区は今、再び大きく変わろうとしています。その大きな契機は、2012年1月に当時の大阪市長橋下徹氏が提示した、あいりん地区を主な対象にした「西成特区構想」です。構想では、子育て世帯の呼び込みや、観光客誘致のための取り組みが計画されています。

本書でもうひとつ書きたかったことは、これまでじっくりと培ってきたあいりん地区なりの「縁」が、大規模再開発によって失われかねないということです。

湯浅 実は、私は、あいりん地区のようなところは大丈夫じゃないかと思っているんです。長年貧困が集中してきたからこそですが、そこに多様な人たちが関わり、縁づくり、コミュニティづくりを担ってきた。その蓄積によって、たとえトップダウンで「改革」が降りてきても、それを自分たちの文脈に読み替えて、飲み込んでしまうような「したたかさ」があるのではないか、と。「萩之茶屋まちづくり拡大会議」のような、地域にかかわるさまざまな組織が連携する動きを見て、そう思いました。

白波瀬 会議には、相互にかかわりがない、あるいは反目し合うような関係だった、連合町会や簡易宿泊所の組合、支援団体、福祉施設などが一堂に会しています。実際、野犬の問題、道路を違法に占拠して営業してきた屋台の問題、覚せい剤の売買など、長年放置されてきた難問に関しても、この会議が動き出したことで、結果的に行政が重い腰を上げていきました。

湯浅 あれだけ多様な地域団体・住民を同じテーブルに着かせることができた。私は、民主主義の力量というのは、8割は多様な人たちを同じテーブルに着かせる力だと常々思っています。その意味で、あいりん地区は住民自治・民主主義がちゃんと機能しているわけです。それは、行政などに対する単純な反発や迎合ではなく、むしろ行政施策を自分たちの文脈に読み替えて、「活用」してしまうような規定力です。今後、国や行政がまちづくりに介入してきても、それらを逆手にとって、したたかにやっていく。そういう力があると思う。

白波瀬 実際に、まちづくりに尽力している人たちはその自負を持っています。今あいりん地区で暮らしている人たちを守りながら、町の活力を高めていかないといけない。

「課題先進地域」あいりん地区に学ぶこと

湯浅 個人化、無縁化が進む地域であっても、私が渋谷で出会った飯島さんと彼を取り巻く人々みたいに、あるいは新しい弔いのかたちを築きつつあるあいりん地区のように、それでもなお、包摂力や包容力を失わないこと。その上でいかに「豊かな無縁社会」を築いていくかが重要ですね。

白波瀬 寄せ場にはいろいろな背景を持った人たちを包み込むところがある。逆に言えば、それ以外の地域の包容力が低すぎるわけです。障害があるとか、キャラクターが違うといったことで地域から排除された人たちを、あいりん地区のようなところが引き受けてきた。今後はそれぞれの地域で、弱さや違いを引き受けられる社会になってほしいと願っています。


古川雅子(ふるかわ・まさこ)ノンフィクションライター。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障害を抱える当事者、医療・介護の従事者、科学と社会の接点で活躍するイノベーターたちの姿を追う。著書に、『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著。朝日新書)がある。

[写真]撮影:遠藤智昭、岡本裕志写真監修:リマインダーズ・プロジェクト後藤勝