「そのとき、つながるということ」 東日本大震災から10年、進化し続けるソフトバンクの災害対策 - ITをもっと身近に。ソフトバンクニュース
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする震度7の巨大地震とそれによる未曾有の大津波により、甚大な被害が生じ、多くの人命が失われました。あれから丸10年。ソフトバンクは東日本大震災での教訓を糧に、さまざまな災害に備えた取り組みを行っています。その10年の取り組みを振り返ります。
東日本大震災の教訓を糧に、災害対策への取り組みが加速
東日本大震災が発生した際、モバイルネットワーク本部 東北技術部(宮城県仙台市)に所属していた小林和弘は、「全国の社員が助け合い、会社として一丸となって復旧活動に動いていました。同じ方向を向き、多くの人が動いたということは、これまでにない経験であったと思います。今後も社員の力を結集し、震災対応含め生かしていきたい」と当時を振り返ります。
東日本大震災の揺れと津波により、移動通信基地局では3,786局が不通、固定通信では約17万8,000回線に影響が及び、被災地の通信ネットワークは壊滅的な状況でした。地震発生後すぐに、ソフトバンクでは災害対策本部が設置され、一刻も早い回線復旧をするために、全国から社員を招集。最終的に、技術職の社員789人、社員有志440人が集まり対応にあたりました。
そして震災から約1カ月後となる2011年4月14日、固定通信の約95%、移動通信も震災前と同等レベルまで復旧。半年以上経った同年9月30日に、ようやく固定通信の99%が復旧しました。
「もっと早く、1日でも早く、つながりを取り戻す」との思いから、ソフトバンクの災害対策への取り組みが一気に加速していったのです。
いち早く通信の復旧を行う前提として、通信ネットワークが災害に対して高い耐久性を備えていなければなりません。通信ネットワークの中枢であるネットワークセンターでは、東日本大震災発生後に建物の耐震強度を震度7クラスの揺れにも耐えられる設計に見直しました。また全国各地の主要なネットワークセンターでは、無停電装置(バッテリー)と非常用発電機を備え、商用電源が喪失した際にも48時間から最長72時間稼働できるよう停電対策も実施されています。
そして全国のネットワークは、東日本エリアと西日本エリアで相互にバックアップを取る構成になっていて、伝送ネットワークもリング状に構築されているため、たとえ1カ所で設備障害が起きても迂回接続を可能にするなどの対策が施されています。
また、東日本大震災では広範囲で停電が発生しました。基地局への電力供給が止まると、通信も途絶えてしまいます。このような停電対策として、基地局設備にも24時間以上維持できる電源設備を設置しました。最近では72時間以上の電力供給が可能な発電機の導入も始まってます。
「基地局の稼働を長時間化できるよう、発電機やバッテリーを設置し電力対策をしています。並行して、基地局に引き込んでいる通信用の光ケーブルの断線対策として、衛星アンテナを設置し通信の維持に備えています」(エリア復旧本部 豊原泰宣)
当時は津波によって多くの基地局が流されたため、応急的に通信エリアを復旧するために移動基地局車や移動電源車、可搬型基地局が重要な役割を担いました。それを踏まえ、移動基地局車の配備を100台、移動電源車82台に増強。可搬型基地局も全国で新たに200台が配備されています。また、2016年3月11日に電波法関係審査基準の法制度改正により「係留気球無線中継システム」を商用ネットワークで利用することが可能に。このシステムは、地上のネットワークが災害を受けたときに、係留気球を用いて一時的に通信エリアを復旧させる方法として研究開発が行われていたもので、法制度改正後は災害時に利用できるよう主要拠点に配備されました。