〈カムカムエヴリバディ〉轟強監督役の土平ドンペイが大部屋俳優(仕出し)から朝ドラ常連俳優になったワケ
“朝ドラ”こと連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(NHK)の第16週、第73回から登場した条映撮影所の映画監督で『破天荒将軍』を撮っている轟強(とどろきつよし)を演じている土平ドンペイさん。『べっぴんさん』(16年度後期)で演じた傍若無人な玉井役で注目されたバイプレイヤーが『カムカム』で演じる役は京都の時代劇を愛する人物だ。土平さん自身が京都の撮影所育ち。「仕出し」と呼ばれ十把一絡げのように扱われながら演じることに魅了され生き抜いて来た経験が轟監督のなかに息づいている。
――『カムカムエヴリバディ』で演じた轟強監督役についてまず教えてください。
土平ドンペイ(以下 土平)「今回僕が演じた轟強監督は京都の監督らしい人物です。僕も京都撮影所の大部屋出身で、30年くらい前、条映撮影所と似たような東映京都撮影所にいまして、その時、撮影所にいらした様々な監督の姿と轟監督が重なります。東京から京都の撮影所にやってくる監督と撮影所で育った監督とはちょっと違うんです。まず見た目が違います。東京の監督さんは目立つ服装をしていますが、京都の監督はよく言えばシック、悪く言えば地味です。見た目は派手ではありませんが職人監督として撮った作品はどれもすばらしい。そして時代劇を撮れば東京の監督はかなわない部分があるんです」
――実在の京都撮影所の監督を参考にしたのでしょうか。
土平「撮影所の監督はああいうハットをよくかぶっているんですよ。衣装合わせのときに『ああこれいいなあ、これやわあ、そうそうこんなんあったこんな人いたいた』と演出の安達もじりさんと一緒に選びました。外見はそうで、内面に関しては、京都の監督にも2通りありまして、京都の俳優ーー言ってみれば大部屋俳優を『こいつら芝居もできへんしな』と思っている監督もいて。そういう方は東京からお越しになる俳優をすごく大事にして、僕らには『おまえらはものと一緒だからここにおったらええねん』という態度でした。もうひとパターンは京都で頑張っているやつらを引き上げたろと考えるタイプです。轟強は後者のタイプです。五十嵐(本郷奏多)に対して表面上は冷めた態度をとっていますが、見えないところで努力している彼の姿を轟はそっと見ていたのでしょう。五十嵐を引き上げようとします。そういうことを実際に僕も目の当たりにしてきました。例えば、ひとつの役をふたりが競い合ったことがありました。ひとりは名前もあって芝居も巧い俳優。でも現場の雰囲気をあまりよくしない。もうひとりは芝居の技術はさほどではないがみんなに好かれる人物。結局、全員一致で後者に決まった理由を監督に聞いたら『まずは心やで』と言われました。『芝居のうまい人はなんぼでもいるから、心でどれだけやれるかが大事になってくる』と。轟監督はそういうふうに考える人物だと僕は解釈して演じました」
――五十嵐役の本郷奏多さんはいかがでしたか。
土平「本郷さんとは映画『GANTZ』(11年)をはじめとして何作かで共演していたので、今回、顔合わせしたとき『お久しぶりです』と挨拶してくれて、僕も『今回、五十嵐役が本郷くんと聞いてすごく嬉しかったんやわ』という話をしました。五十嵐が旧知の本郷さんであることで、がんばってるやつを引き上げてやりたいたいという轟の気分がより一層強くなりました。やっぱり知らない俳優よりも感情が入りやすいですね。伴虚無蔵役の松重豊さんとも『探偵はBARにいる』(11年)シリーズでコンビ役だったので久しぶりにガチで共演できて嬉しかったです」
――若い俳優を見守る監督ということは、今回は『べっぴんさん』の玉井と違っていい人なのですね。
土平「そうなんです。『カムカム』に出ると聞いた人は皆、まず、今回も悪い人?と聞くので、『今回はね、見かけはこわいねんけど、中身はすごいええおっちゃんやで』と答えています。『べっぴんさん』の玉井のイメージだとまたなんかやらかすんちゃうかと心配されますが今回は純真なええ人で、時代劇を心から愛している好人物です」
――安達祐実さん演じるすみれと轟は昔と立場が逆転していますがそれでも昔、助監督だったから頭が上がらないという関係性はリアリティのあることなのですか。
土平「台本にはそこまで書かれていませんでしたが、最初、社員からすみれを使ってほしいと頼まれたとき、『いやいやなんでやねんと、京都の時代劇を捨てて出ていった女優をね、なんでいまさら使わないといけないのか、ましてわしの組で』という気持ちはあったでしょう。でも現場に行くとすみれには頭があがらない。無理難題を仰せ付けられてなかなか台本通りにやってくれなくて四苦八苦する様子がドラマでは面白く描かれていました。こういうことは実際にあります。過去に弱点を握られていたというわけではないですが(笑)、まだまだ何もできなかった助監督時代を知られている方には何も言えなくなってしまうものですよね。ただ、藤本有紀さんの脚本がシビれるのはその後で、すみれが轟の当時の仕事をちゃんと覚えているんですよね。そこはぐさっと刺さりまして、最初はそういう演技プランじゃなかったのに思わずおセンチな芝居になってしまい、それを演出の橋爪さんに『そんなにしんみりしなくていいです』と指摘され、そうだよねって芝居を修正しました(笑)」
――ストーリーはへんだけど妙な勢いがあって忘れられない作品になることってありますよね。
土平「『あの頃ブルース・リーが流行っていたんだよね』と思い出語りをするところがすごく好きなシーンで、思わずしんみり語ってしまいました。安達さんの芝居がそう感じさせてくれたんですよね。安達さんとは初共演でしたが掛け合いを楽しみました」
――伴虚無蔵のような斬られ役の俳優さんは京都にいますか。
土平「なかなかあそこまでの個性的なキャラの人も大部屋にはいないです(笑)。でも虚無蔵は時代劇の灯を絶やしてはいけないと思っていて、そういう時代劇を愛している点では大部屋の人はみんな虚無蔵のように思っていらっしゃいます。あのランクの方は大部屋では『先生』と言われるんですね。亡くなった福本清三さんがそうでした(“5万回斬られた男”の異名をもつ名斬られ役俳優。主演映画に『太秦ライムライト』がある)。通常はあのランクの方々とは下っ端の大部屋俳優はお話もできないんです。東京から来られる立派な俳優さんよりも先生がたのほうがごっつうええ椅子に座っていらっしゃいます。ただ哀しいかな、この数年の間にそのクラスの方が何人もお亡くなりになりまして、ラストの立ち回りができる方が少なくなっています。いま、それをやっているのは僕がおったときの同期くらいが東映剣会(つるぎかい)の中心メンバーで、今回、太秦で撮影したときに『土っちゃん、がんばってるなあ』と声をかけてもらい、久しぶりに話をして、なんとかせなあかんなあって言っていたんです。今、京都で時代劇が、NHKのみならず民放でもほとんど作られていませんから。でも時代劇は京都で撮影すると空気感がね、時代劇にぴったりの空気感がある。それも冬場がいいんです。何か独特の雰囲気が出るんですね。昔、“東洋のハリウッド”と言われた京都の太秦撮影所でもっともっと時代劇が撮られるようになるといいなと思っていました。演出の安達もじりさんとは映画『蒲田行進曲』(82年 撮影所のスターと大部屋俳優の物語)で描かれなかったエピソードを取り入れられるといいなと話していました。テレビドラマではなかなかいろんなことをするのは不可能とは思いますが、今回撮影所のシーンに携わった者からしますと、今までのドラマで時代劇を描くものとは違い、テレビドラマにしては映画のような、いろんなところを描いていると感じます」
――『蒲田行進曲』とはまた違う側面が描かれているんですね。
土平「『蒲田〜』を観ている者からすると、他の撮影所を描いた作品を観て、『蒲田〜』のことが好きな演出家が『蒲田〜』を取り入れただけだろうと思われないよう、それとはまた違うオリジナルなものになったらいいなと今回も出演のお話を頂いた時に、撮影所のおもしろエピソードはお話しました。『べっぴんさん』のときに毎日新聞の滋賀県版で連載していた記事に撮影所のこともたくさん語っているんです。僕の公式ホームページに再掲載しているので興味があるかたはぜひ読んでください」
――ドンペイさんの新聞の連載で同じ京都の撮影所でも東映と松竹は違うと書いてありました。
土平「東映の場合はばさっと斬られた場合、福本さんの特徴的な動きで、半反りになってカメラのとこまで自分の顔をもっていくんですよ(再現して見せてくれる)」
――『カムカム』の劇中劇『妖術七变化』での虚無蔵の死に方もそれっぽいですよね。
土平「松重さんの死に方はよく似ているなと思っていました。福本さんの死に方はすごく有名なんです。ほかの先生がたもそれぞれの死に方をお考えになっていて、ああおもろいなあと思うところがたくさんありました。僕は、東映にいたときは毎日“仕出し”として、行商人などとしてメインの俳優さんたちの後ろを歩くようなことしかやってないんですが、先生たちの動きを現場で見ては、ああすごいなあと学んでいました。そのあと、東京へ出る前に松竹撮影所に移りました。東映ほど大部屋俳優がいないので、たまに僕なんかでも、立ち回りに参加することができたので、東映で覚えたように自分の色を出そうとしたら、殺陣師の先生に『あほかおまえは、さっさと死ね、邪魔や』と外されて違う俳優に代えられたというときもありました。立ち回りで死ぬことは大部屋俳優としては勲章のひとつだったので、なんとかものにしたろって思っていたのですが……。『そらおまえ東映の死に方やろって。こっちはもうすんなり死ぬんや』って(笑)。それは撮影所というか撮影所が抱えている殺陣師さんの違いによるものですね」
――エキストラが「仕出し」と呼ばれるんですね。仕出し弁当の「仕出し」から来ているのでしょうか。
土平「もともと、先輩に聞いた話なので正しいかわからないですが、仕出し弁当って数ぎょうさん運ばれますよね。その数が多いってことなのかな。名もなき弁当、なのに数は多い。なんとなく味付けされているという意味とか、いろんな解釈があると聞いたことがありますが、正しい語源はわからないです」
――「仕出し」という呼ばれ方をどう思っていましたか。
土平「これは新聞でも語りましたが、松竹に入ったとき、何をすべきかと思って、ピラニア軍団(川谷拓三などが所属した東映の大部屋俳優の集団)みたいな存在になろうと、頭を剃ったり眉毛を剃ったりして強烈な外見を作ったところ、たくさんの現場で使ってもらえたんです。でも、いくらいいところで寄りのアップをいただけても、仕出しはクレジットされないし台本ももらえないんですよ。大部屋の楽屋にみんなが読む台本があって、それを現場に行く前に読んで内容をざっと頭に入れておくことが多かったです。あんなに寄りで、自分で言うのもなんですがいい芝居していても、名前、出えへんのかと、ほんとうに悔しい残念な思いをよくしました。そのあとに頑張っているから、ちゃんとした役じゃないけど……とト書きにどこどこからのぞいている◯◯という役を頂きまして、そうしたら、たったワンカットだけにもかかわらず台本ももらえて名前も出たんです。そのとき、やっぱり仕出しではなく役をやらなあかんなと痛感しました」
――『カムカム』第16週、土平さんのまわりを固める撮影現場のスタッフ役の方たちもリアルないい動きをしていたと思いますか。
土平「ほんとにリアルでした。16週の撮影シーンはリハーサル室ではなく、実際の現場に集まって20人くらいで練習しました。皆さん、轟組のスタッフとして随所にいい動きしています。例えば、照明部の役の方はエキストラの気分で現場に来てないと思って、監督役として僕もすごく嬉しかったです。照明スタッフは器材が重いので、冬でも汗水たらしているんですが、現場でほんとうに汗かいて動いていて、声かけたいなって思ったくらいです。出演者、ひとりひとりがそういう気分でやると確実にいいシーンになります。監督は目の前の芝居を見ていますが、まわりも見ているんです」
――助監督・畑野役の三谷昌登さんは太秦の俳優養成所出身で映画村でバイトをしていたそうです。
土平「彼はだいぶ後輩ですね。彼も現場を見てきているから助監督として誰かを参考にしながら楽しくやっていたんじゃないでしょうか」
※三谷昌登さんは「スカーレット」(19年度後期)のときインタビューしていて、太秦の俳優養成所時代の話も語ってもらっています。
――土平さんが大部屋俳優から朝ドラに出るようになったきっかけを教えてください。
土平「京都の大部屋出身でなんのあてもなく東京に出てからも、僕は生涯の夢として大河ドラマに出たいと思っていました。京都で時代劇をやってきたことを生かして大河ドラマに出たら死んでもええわと思っていて、そしたら東京に出て数年間ではじめての大河ドラマ『功名が辻』(06年)に出ることが叶いました。家来役でいついなくなっても良かったのですが、京都での経験が加味されたのか最終回まで残してもらえたんです。その当時、一緒にラーメン屋で熱く語り合ったのが安達もじりさんなんです。一番下の助監督だった安達さんとお互いがんばってお互いの作品を一緒にやれるようにいずれなったらええなと言っていたら安達さんは早くに演出としてご活躍されて、ありがたくもたくさんの作品に声をかけてくださっています。その次の年の朝ドラ『瞳』に『功名が辻』のスタッフがそろい、その縁で僕がレギュラー枠の端っこに入れたんです。大河も出て朝ドラも出ることが叶って嬉しかったですよ。それから現場でとにかく一生懸命するってことをやっていたらNHK の方が想いを汲んでくださっていろんなところでお声がけしてくださいました。僕が大阪出身なのと、『べっぴんさん』の印象が強いので大阪制作作品への出演が多いと思われていますが、東京制作でも『瞳』や『花子とアン』に出ています。現場で培った信頼関係で成り立っていますよね。『おちょやん』(20年度後期)も『べっぴんさん』でご一緒したスタッフに呼んでいただきました。出番が1日やから好き放題暴れまくって帰りました(笑)。(第73回、借金取りの役。これも悪役)」
――『べっぴんさん』の玉井が脚を負傷していて、そのサブテキストを考えたと新聞に書かれていましたが、脚が悪い設定は台本に書かれてあったのですか。
土平「いえ。闇市で悪いことをしている人物という設定だったので、日本が戦争で負けて弱った人たちが闇市で助け合っている中、なんで玉井だけがショバ代を出せとか理不尽なことを言うのかその理由を考えたときに、過去、彼自身が理不尽な目に遭って脚を負傷したと考えました。彼ののし上がるモチベーションを周囲の人たちへの憎悪にして、その現れを脚のケガにしたいと演出の梛川さんに相談したら、それでいきましょうと採用してくれたんです」
――玉井が印象に残ったのは単に悪者なだけでなく土平さんの役について考え抜いた熱意だったのだと感じます。
土平「もちろん脚本を大事にしていますが、僕はそこに肉付けすることが役者の仕事やろと思って何十年もやってきました。ところが今回『カムカム』では藤本有紀さんの脚本があまりに人物をしっかり描いていたので書かれた通りにしっかりやるだけでいいと感じました。30年もの役者歴を経てはじめて脚本にすべて身を委ねられたんです」
――そんな轟強監督、16週以降も出ますか。
土平「ひなた編の終盤まで出る予定です」
芝居の現場にはいろんな人がいる。スターもいれば脇役もいてスタッフもいて、大勢の人たちが有機的に動いて芝居ができあがる。たとえドラマでクレジットされていない俳優やスタッフの中にもすごくいい仕事をしている人たちがいる。土平ドンペイさんもセンターに立つスターではないがどんなに小さな役でも懸命に考えて心をこめて演じてきた。その熱量が人の心を打つ。『カムカム』の劇中劇『妖術七変化』が駄作と言われたり『棗黍之丞シリーズ』の「おゆみ命がけ」の回が奇妙な作品と言われながら、錠一郎(オダギリジョー)やひなた(川栄李奈)や五十嵐の心をわし掴んだのはそのエネルギーにほかならない。そもそも映画もドラマも演劇も作りもの。それがホンモノに見える瞬間があるとしたら、物語の内容よりも目の前に現出した熱量とそこから湧き出す感情がそれだろう。それこそが芝居の最大の魅力である(よくできた物語が一番と思う人もいるだろうけれど)。芝居の醍醐味を一番知っている俳優・土平さんが撮影所の監督役であるというドンピシャなキャスティング。今回、何も自分で付け加えなかったと言った土平さん。土平さんが長年、名もなき役に命を吹き込んできたからこそ、作家がしっかり命を吹き込んだ役を演じる出番が回ってきたのだろう。しかも彼の中に堆積した経験や記憶そのもので十分の役。どちらかといえば悪人役のイメージが強かった土平さんだが、おそらく轟監督のように見た目はちょっとこわいけど映画が好きで現場が好きで人情のある人に違いない。俳優が役を巧く演じるのではなく役から本人の素が透けて見えるときもある。そういうときも作品はすごく面白くなる。だからお芝居はやめられない。
profile
Donpei Tsuchihira
1966年、大阪府生まれ。京都駅に張り紙してあった東映京都撮影所のオーディションを受けて大部屋俳優になる。その後、松竹京都撮影所を経て東京に進出。多くの映画やテレビドラマに出演する。主な出演作品に映画『パッチギ』、『探偵はBARにいる』シリーズ、『GANTZ』、ネットドラマ『全裸監督』、大河ドラマや朝ドラに数多く出演している。
連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
毎週月曜~土曜 NHK総合 午前8時~(土曜は一週間の振り返り)
制作統括:堀之内礼二郎 櫻井賢
作:藤本有紀
プロデューサー:葛西勇也 橋本果奈 齋藤明日香
演出:安達もじり 橋爪紳一朗 深川貴志 松岡一史 二見大輔 泉並敬眞
音楽:金子隆博
主演:上白石萌音 深津絵里 川栄李奈
語り:城田優
主題歌:AI「アルデバラン」