沿って, Uav-jp 26/01/2023

馬毛島問題に見る米国の不沈空母・日本の将来 それはまるでウクライナ危機とも表裏一体 沖縄国際大学教授・前泊博盛

基地を造ると「標的の島」に 沖縄戦の教訓

 馬毛島問題と自衛隊の関係について考えるうえで、まず沖縄戦の教訓に触れておきたい。77年前に民間人を巻き込む地上戦となった沖縄戦では、軍がいない地域や島では住民が無傷であったり、被害が軽微に済んでいたのに対して、軍が配備されていた場所では地域全体が原形を留めないほどに猛攻撃を受けた。つまり基地をつくるということは、その地域は「標的の島」になるということを教えている。

第32軍司令部があった首里周辺は米軍の艦砲射撃で蜂の巣となった(1945年、沖縄)

 さらに、1958年の中台危機(台湾海峡危機)では、沖縄は米国の核攻撃拠点として位置づけられていた。復帰前の沖縄には核ミサイルが配備され、米軍のB52爆撃機は核爆弾を搭載し、警戒活動として中国上空を飛んでいた。米国は「中国が台湾をとりに来るのなら、北京を核攻撃する可能性がある」と遠回しに伝え、それに対して旧ソ連(現ロシア)は「中国を核攻撃するのならわれわれもあらゆる手段をもって報復する」と応えていた。その時の米国の機密文書が開示され、昨年5月に『朝日新聞』が報じている。

 このとき米軍参謀本部は、北京を攻撃した場合に報復攻撃を受ける可能性を認め、「そのときには沖縄と台湾を失うことになる」といっている。つまり、沖縄も台湾も消えてしまうことを想定していたことが記録から出てきた。住民からすれば、知らないところで自分たちの島が戦争の道具として利用され、報復攻撃を受ける島と位置づけられていたことになる。基地にされようとしている馬毛島は、種子島から離れているから攻撃は受けないと考えるかもしれないが、いずれ種子島にも自衛隊が配備されたり、軍事施設がつくられると断言できる。人の住まないところで軍が長期間勤務することはないからだ。だから、種子島と馬毛島は一体的に運用されることになる。基地を置くのであれば、その危険性についても覚悟を決めなければならなくなってくる。

 かつて沖縄戦で第32軍航空参謀だった神直道氏を取材したことがある。彼に「なぜ沖縄戦で10万人をこえる住民が犠牲にならなければならなかったのか? 軍はなぜ民を守らなかったのか? これだけの軍隊がいて守れなかったのか?」と問うと、「軍の役割に民を守るという命令はない。軍の役割は敵の殲滅である」と軽やかに答えられた。

 つまり基地ができても有事では「住民保護」は放置される。沖縄でも宮古島や与那国島に加えて、石垣島にも自衛隊基地がつくられようとしているが、万が一のときには攻撃を受ける可能性があることは国もわかっている。それに備えて各自治体は「国民(住民)保護計画」をつくらなければならないが、残念ながら沖縄県内41市町村は作成されていない。島から145万人の県民を離脱させることは事実上不可能だということで「策定できない」という結論になっている。有事に住民を守る方策はないのだ。

 もし馬毛島・種子島に基地をつくるというのなら、万が一に備えて住民保護計画をつくってもらうことを要求し、守ってもらえないのであれば基地建設そのものに反対するという意志表示をしっかりしておく必要がある。

 ミサイル防衛、島しょ防衛のためといわれる基地は、何から何を守るのかということを沖縄では議論している。馬毛島基地は何から何を守るためのものか――それを防衛省や防衛大臣、岸田総理大臣にしっかり聞いてもらいたい。少なくともこの基地は地元の人々を守るものではなく、本土を守るために南西諸島が犠牲になっていくという構図が見え隠れしていることがわかると思う。国が守るのは、戦前と同じように国体護持であり、現在でいえば日米安保体制、太平洋における米国の覇権維持のためにこの基地がつくられている可能性があることを覚えておいてほしい。

自衛隊の南西諸島展開馬毛島問題の源流

馬毛島(鹿児島県西之表市)

 現在進められている自衛隊の南西諸島展開は、中台海峡(中国の台湾)危機を見据えたものだ。南西諸島のなかには馬毛島も含まれ、鹿児島、宮崎までが一つの防衛ラインとして入っている。この地域への自衛隊ミサイル配備が着々と進められている。

 米国が設定した対中国の列島防衛ラインを見ると、日本列島から南西諸島、南沙諸島にまでつながるラインが第一列島、第二列島線はグアム・サイパン、第三列島線はハワイにある。ハワイを最後の防波堤にしていることからも、何から何を守るための防衛ラインなのかが見えてくる。これはNATOと米国が設定した対共産主義防衛ラインだ。そこに日本列島を使っていること自体が非常識なのだが、その一翼を担わされる馬毛島・種子島は、この第一列島線を守るための位置づけになっている。「軍事的空白を埋める」という対中防衛の虚実についてしっかりと見ておく必要がある。

 中国側から太平洋に抜けるためには日本列島の間を通る9つの出口があるといわれる【地図参照】。これをふさぐことが第一列島線(日本)の役割にされている。だが、中国が太平洋に出て行って誰が損をするのか? 日本にどんな損失があるのか? という疑問がある。中国を狭い日本海に閉じ込めることに何のメリットもない。広い太平洋に出たいというのなら、出してやればいいのではないか。

 この防衛ラインに連なる島々――九州の佐世保基地への陸自水陸機動団、佐賀空港へのオスプレイ配備計画、馬毛島・種子島への米軍艦載機訓練基地、そして奄美大島、沖縄島、宮古島、石垣島、与那国島へミサイル部隊や警備部隊の配備が進んでいる。いずれ馬毛島にもミサイル防衛計画が必ず入ってくる。

 また、沖縄の普天間基地から飛び立ったオスプレイが給油なしで飛べるのは約600㌔㍍なので、種子島あたりで給油をしなければ朝鮮半島へも飛んでいけない【地図参照】。馬毛島はオスプレイや輸送機の中継地点という位置づけになり、その意味から考えても自衛隊基地ではなく、米軍の補完的な基地となるのは明らかだ。

 米国がつくった基地は米国が維持管理しなければならないが、日本が自衛隊基地として管理するなら経費はすべて日本持ちであり、それを米軍が使うというのが最も安上がりな運用方法だ。九州などでも自衛隊基地の米軍との共用化が進んでいるのはそのためで、鹿児島では鹿屋基地でも米軍無人機の運用を図っている。

深まる日本の対中依存  中国は「敵」なのか?

 果たして中国は「敵」なのか? 日本は中国なしでやっていけるのか?ということをクリアに考える必要がある。

 この10年間、日本にとって最大の貿易相手国は中国だ【グラフ参照】。2020年の対中貿易額は32・6兆円(輸出15・1兆円、輸入17・5兆円)だ。2019年でも33・2兆円にのぼる。

 「日米安保」とは軍事安保であると同時に経済安保でもある。経済安保である米国との貿易額は、2020年で20兆円(輸出12・6兆円、輸入7・4兆円)だ。対中依存度は対米依存度の1・5倍にもなる。中国なしではユニクロの衣料品もないし、野菜などの食料品、家電製品もしかり。いまや「世界の工場」となっている中国を失うことは、日本だけでなく世界経済そのものが大きな痛手を被るという現実がある。

 以前、安倍首相(当時)が「中国をとるのか、米国をとるのか」という二者択一の質問をされたときに、「日米安保もあるし、いざとなったら守ってくれる米国だろう」という答えを出す人が多かった。このような二者択一型の質問に弱いのが、日本人の特徴といわれている。だが「中国も米国も両方とる」といわない限り、この国は成り立たないということを覚えておいてほしい。

 中国はケンカの相手ではなく、仲良くしなければならない相手であり、その意味では米国と同等だ。そして現在はASEAN(東南アジア諸国連合)が、中国や米国をしのぐ貿易相手国になるまでに急成長している。そのような周辺国との関係性をどう深めていくのかを考えることは軍拡以上に重要だ。

 今日は馬毛島問題を議論しているが、そのためには上流で何が起きているのかということを理解しなければ、下流にいる私たちは土石流に巻き込まれてしまう。上流から危険なものが流れてくる。政治によって戦争が起こされると、人々は徴兵で戦場に送り込まれる。送り込む政治家やその子弟は戦場には行かない。行かされるのは私たち下流で暮らす庶民の子弟だ。そのような経験がすでに忘れられている状況がある。

米国は日本を守らない同床異夢の日米同盟

 以前、石破元防衛大臣がテレビ出演したとき、「日米安保があるからといって、いざというときに米国が守ってくれるとはもう思わない方がいい」という発言をした。

 これについて米国務省資料を調査した早稲田大学の水島朝穂教授(憲法学)は「集団的自衛権の行使云々を論議する前に、日本を助けるために米国が艦船を派遣するなどということは、ありえない可能性がある」と指摘している。

 開示された米国務省資料には、「国務省は外国人の退避につき他国の政府と正式の協定を締結することを控えている」「すべての外国政府に対し、自国民の退避のための計画を策定すること、合衆国政府に自国民退避を依存しないことを強く要請する」「退避のための合衆国政府の人的・物的資源は、米国人を助けることに集中しなければならない」「海外における危機事態においては、合衆国政府の第一義的な関心は合衆国市民の保護である」と書かれている。

 私の大学から見える米軍普天間基地では、最近はオスプレイだけでなく民間機が頻繁に離発着訓練をしている。昨年のアフガニスタンからの撤退もそうだが、中台危機に備えて、台湾に残っている米国人を救出するための訓練だ。オスプレイの訓練も、現地邦人を救出して離脱するまでの間、飛行場を制圧するための機能と考えられる。「そのとき日本人は一緒に乗せてもらえるのか?」という問題がある。

 先週、日本の外務省はウクライナからの退避勧告を出した。では戦争状態に入ったら誰が助けにいくのか? イラクのときは誰が助けたのか? そもそも日本政府は本当に邦人を助けるために動いてくれるのか――という疑念がある。そして、救出する以前に紛争を防ぐために動いているのか? がまったく見えない。ウクライナの戦争状態を回避するために、フランス、ドイツ、イギリスも動いたが、日本の岸田首相は話を聞くだけで行動がない。いくら「聞く力」があってもアクションがなければ何の意味もない。独自の外交がまったく見えないのがこの国の特徴だ。

 米統合参謀本部の資料にも「合衆国はどの国に対しても退避の援助を保証する協定を締結していない」と書いてあり、「どの国」には日本も含まれている。「日米安保があるからといって米国が日本を守るとは思わない方がいい」といった石破元大臣はたいへん正直に事実をのべているわけだが、米国に対して本当のことをいう政治家は総理大臣になれないというジンクスもある。

軍拡は何をもたらすか軍産複合体の脅威

 軍が産業を依存させ、それによって軍需産業がもうけていく仕組みについて、かつてアイゼンハワー米大統領は「軍産複合体の危険」として警鐘を鳴らした。だが、その軍産複合体は現在も維持されている。米国は毎年80兆~90兆円の予算を軍事費として使い、日本の防衛費も5兆5000億円に膨らみ、その裏側では米国から購入した兵器のローン残額が5兆円にも膨れあがっている。そこに軍産複合体の存在がある。

 最近は、軍産だけでなく官(行政)、学術研究、さらに報道も加えて、「軍・産・官・学・報」の脅威となっている状況がある。軍事研究に手を貸す学会に、報道まで入って一体何をしているのか? だ。

 2月22日に、私も参加する沖縄国際大学沖縄経済環境研究所のフォーラムでウクライナ問題をとりあげて専門家たちが論議したが、最近の戦争は「ハイブリッド戦争」といわれるほど多岐に亘るものになっていることが指摘されていた。政治、経済、サイバー、プロパガンダを含む情報・心理戦などのツール、テロや犯罪行為も含む、非正規戦と正規戦を組み合わせた戦争の手法のことを指すのだという。

 ウクライナ情勢を見ても、ロシアが攻めるのか、攻めないのかも予測できず、米国は「攻める、攻める」というが、まるで攻めることを望んでいるかのような報道だ。新聞やテレビを見ても、なぜ今ウクライナなのか、ロシアは何がやりたいのか、そして非常に危険な行動をとっているプーチン大統領に対してロシア国民は何をしているのか――といったことがまったく報道されない。ロシア問題の専門家たちも口を揃えて「わからない」「プーチン大統領に聞かないとわからない」という。だがプーチン大統領に取材するメディアがない。

 プーチン大統領は2014年に日露首脳会談で来日したさい、質問した記者に「平和条約を締結し、北方領土を返したときに米軍基地を置くことはないか? という問いに対して日本政府からの答えがない」と語っていたという。日米地位協定(二条)には、日本国内に米軍基地を置くことについて日本側にはノーという権利がない。そのため北方領土の返還交渉は水泡に帰した。つまり米軍が最前線基地として位置づけているにもかかわらず、返還した土地に米軍基地を置かれるということはあってはならないというのがロシア側の主張だ。

 またプーチン大統領は、「日本に主権があるかないかは辺野古を見ればわかる」ともいった。「県知事や県民が基地拡大に反対しているのに、国は米軍基地の建設を強行している」「日本が米国に対してノーといえないことがよくわかる事例だ」という意味合いの嫌みを、ロシアのクリミア併合問題を棚上げしたうえでいわれている。対米関係の歪みが、日本と周辺国との外交の妨げになっていることを象徴している。

馬毛島問題に見る米国の不沈空母・日本の将来 それはまるでウクライナ危機とも表裏一体 沖縄国際大学教授・前泊博盛

勝者なき戦争の時代イラク、アフガンが示すもの

 ただ最近の戦争は、勝利すると領地などを手に入れることができた時代の戦争とは異なる。イラク戦争やアフガン戦争で、米国が侵攻して対象者を殺害したものの、戦況はむしろ泥沼化しながら継続し、後処理や復興のための負担が重くのしかかった。

 昭和天皇は戦後、「元来軍人の一部には戦争癖がある。軍備は平和のためにすると口にしながら軍備が充実すると、その力を試してみたくなる悪い癖がある。これは隣人愛の欠如、日本武士道の退廃である」と発言している。

 日本は戦後GHQに「刀狩り」をされ、武器を持たないことを前提とした国であるため、一般市民が銃を持つと銃刀法違反で逮捕される。だが、米国では銃を持つ権利が保障されているので多くの市民が銃を持ち、銃で撃たれて死ぬ人が毎年2万~3万人もいる。戦争よりも犠牲者が多くなるほど、武器を持つことには危険性がともなう。相手と意見が対立するとすぐに武器を持ち出すことになるということも念頭に置く必要がある。

 ウクライナ危機も中台危機でも同じで、戦争をすれば勝者はなく、誰もが犠牲になる時代だ。その戦争を準備する基地をつくらせる行為自体が、周辺諸国の日本への信頼を失わせているということを考えなければならない。

東アジア共同体(AU)創設へ 平和・共生・繁栄

 東アジア共同体(AU)の創設は、非常に重要な課題だ。武力(武器)で対峙するよりもアジア共同体をつくっていく。例えばウクライナ問題では、ウクライナがNATOに加盟することについて、ロシアには強い危機感があるという指摘がある。だが、ロシアも欧州も経済的には依存関係がある。軍事的に対峙しあうよりも、ロシアも含めてEU入りし、経済連携のなかでお互いに豊かになることを目指すという可能性を探るということはできないのかと考える。

 アジアにおいては、「アジア人の血をアジア人の手によって一滴たりとも流さない」という血の誓いができるくらい有能な政治家・外交官を送り出していくことが必要だ。そしてAU(アジアユニオン)は、EUをこえる「平和・共生・繁栄」の共同体をつくり、域内対立を回避する経済同盟をつくるという大きな枠組みのなかで見ていかなければ、馬毛島を見ているだけでは問題の解決はできない。

 メディアなどで自民党の政治家と対談する機会もあるが、日米地位協定によって日本の外交力が奪われていること、軍事力だけで国は守れないという認識は、保守層の中にも徐々に広がっていると感じている。外交小国の日本は、外交官が5000人程度しかいないが、中国やロシアは7000~8000人、フランスは1万人超、米国は2万2000人もいる。

 「中国が台湾を攻める」云々という前に、中国に行って本当にその意志があるのかを確認しなければならないのに、誰も中国に行こうとしない。自民党の首相経験者でも「対中強硬路線だけでなく、直接中国に出向いて習近平と対話をしてくればいいではないか」という意見をする人もいる。遠く離れた場所から懐を探り合って軍拡競争をするよりも、直接話をすればいい。「どうも最近(の政治家)は左半身不随で、右ばっかり強くて困るよ」と嘆く人もいる。

 「外交大国を目指すべきだ」という政治家を送り出さなければならない。沖縄から見ていても鹿児島は「右」が強い。にもかかわらず、かつて特攻隊が飛び立った鹿屋基地に米軍が乗り込んでくることまでなぜ許しているのか。マインドまでも米国に乗っとられてしまったのか。もともと基地を抱えているから自衛隊も米軍も同じだという考えなのかも知れないが、戦争犠牲者たちが戦争は二度としてほしくないと思っているなかで、鹿屋にまで米軍無人機の配備計画が進められてしまっている。鹿児島は大丈夫か? かつて琉球を支配した薩摩は今は影も形もないのか? と心配になるくらい弱体化している気がする。

琉球弧を米前線基地化費用は日本が負担

 日米安保と自衛隊の関係について、外務省は「矛」と「盾」の関係だと説明している。日本は平和憲法によって専守防衛(盾のみ)と定められているので、相手を報復するための「矛」が必要であり、その役割を在日米軍が背負っているという論理だ。そのおかげで日本は米軍にものがいえない。憲法との兼ね合いで文字通り「矛盾」した関係にある。

 馬毛島問題では、憲法九条で定めた戦力の不保持、交戦権の否定がなぜ許されているのかという、上流での議論がなされていないために、下流にある現場で問題が噴出している。沖縄においても、当初は監視部隊といっていたものが攻撃部隊に変わり、保管庫といっていたものが弾薬庫やミサイル庫に変わっている。最初の説明と現実がすべて変わっていくということが基地建設においては必ず起きる。ウソとごまかしが横行するなかで、地元の人々のために必要な情報をとってこれないような議員はかえた方がいい。正確に実態を把握できる議員を国政に送り出さなければ意味がない。

 さらに馬毛島の基地は「核の傘」における核武装ができる場所になる可能性がある。米軍が核を置いてもわからない場所になるのではないかと思っている。ミサイル防衛では人が住んでいる場所に核兵器を保管することは非常に難しい。沖縄では埋立中の辺野古新基地建設だけに注目が集まっているが、その隣にある辺野古弾薬庫では4、5年前から新たに深度の深い弾薬庫の建設が進んでいる。新たな核兵器の再配備なのか、戦後からずっと撤去されていない核兵器を保管するためなのかは定かではないが、核武装のために核を持ち込んでもわからないように辺野古弾薬庫が使われようとしている。そのために巨大艦船の接岸が可能な港を持った基地が隣接する辺野古に造成されている。

 それと同じく馬毛島に自衛隊基地を整備する主目的は、自衛隊の活動のためではなく、米軍空母艦載機部隊の離着陸訓練(FCLP)基地を米国に提供することにある。「本格的な自衛隊の最前線基地」ではなく、「本格的な米軍の最前線基地」をつくる。その利用のために日本がお金を出してつくっている基地だ。

 沖縄の事例を見ても、自衛隊・米軍訓練基地→自衛隊ミサイル防衛基地→日米ミサイル攻撃基地へと説明のたびに名称が変わり、最終的には日米共同使用施設として有事即応攻撃基地(核ミサイル基地となる可能性も)へと変わっている。

 実は辺野古新基地建設も、米軍がベトナム戦争時期に計画していたものだが、ベトナムの戦費が嵩むなかで米国では予算確保できずに棚上げになっていたものを、今度は日本政府が、普天間基地の代替基地という名目でつくることになったという経緯がある。当時、米国のマリコン企業「ベクテル社」が完成予想図まで作成し、滑走路や軍港、補給施設など沖縄の基地機能を集約した設計図もある。それに沿って日本がお金を出して基地をつくっている。ただ、米国は軟弱地盤を外して設計していたが、防衛省はそれを見ずに計画を立てたので、軟弱地盤にはまり込んでジャブジャブと税金を投入してしまう悲劇に陥っている。

悪貨が良貨を駆逐する ―基地と振興策―

 最近では基地の必要性の議論ではなく、防衛予算による経済振興の議論へと論点をすり替えることが国の常套手段になっている。では本当に地域振興につながるのか? 配備された自衛隊員の数だけ人口は増えるが、その後自衛隊を配備することで地域振興を狙った地域で成功した例は、残念ながらどこにも見当たらない。

 今、馬毛島を含む西之表市では、国から地域活性化や振興策として300億円を提示されたことで市長の心が揺らいでいるという報道もあるが、そのもらい切りの予算が本当に地域にとって必要なことに使われるのか、そういうお金の使い方が地域のためになるのか否かを考えなければいけない。

 沖縄県の名護市に交付されている米軍再編交付金は、基地の受け入れを条件に支出されるはずのものだが、名護市長は基地について賛否を明らかにしていない。それでも4年間に70億円が下りている。沖縄ではこれらの交付金が、道路整備や乗り合いタクシー、公民館整備、イベント事業、児童館の整備、こども医療費などにも使われている。なぜ児童館や子ども医療費が防衛政策なのか? 道路整備は国交省であり、公民館や子ども医療費は厚労省に予算を付けさせるべきものだ。本来の目的とは違う使われ方がされていることは、賄賂にあたるのではないかという指摘もある。防衛省の越権行為であり、明らかにおかしい予算の使い方について会計検査院のチェックが機能しているのかが問題だ。

 西之表市でも「300億円あげるよ」といわれて市長の心が揺らぐようでは、この国の民主主義は崩壊し、カネで動く社会になったということになる。

 「自衛隊があれば災害救助が迅速にできる」という主張もあるが、災害救助なら海上保安庁や医療機関、自治体消防もある。本来自治体でやらなければいけないことをなぜ自衛隊に依存するのか。自分たちの身を自分たちで守れる力を地域で持っていくことも必要なことだ。

 雇用・産業立地効果についても、知恵がなくなった地域ほど自衛隊に依存して基地をつくってもらおうと考える人たちが増えてくる。だがそれは大きな間違いだ。

 「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉がある。自衛隊基地が民間経済の可能性を駆逐する。沖縄では逆に「良貨で悪貨を駆逐する」という言葉が出てきた。基地よりも基地がない方がもうかるということがわかったので、経済界を巻き込んで基地撤去運動が広がった側面がある。基地関連収入よりも、返還後の民間活用の方が数倍もの経済効果を生んでいるからだ。

 馬毛島にしても、なぜこれほどきれいな自然が残された島を基地に渡すのか。これからは自然が売りになる時代だ。種子島は宇宙開発の拠点として注目されていたが、馬毛島の方が有名になってしまっても、観光客は誰も馬毛島基地など見に行かない。豊かな自然環境や歴史、文化が織りなす地域の魅力があるから人々が訪れる。

 辺野古新基地建設の総工費は、当初3600億円の予定だったのに、現在は9300億円にまで膨らんでいる。これほどの公共事業が一つの地域に落ちることはすごいことだ。「千載一遇のチャンス」ともいわれた。だが現実には、地元歩留まりが悪く、金額ベースでは本土ゼネコンが、多いときで75%も持って逃げる【グラフ参照】。復帰後の沖縄県内の公共工事の46%は、本土の企業に還流していた。防衛省の天下り企業が利益の7割を握り、地元業者にはわずかなおこぼれが落ちるだけだ。沖縄振興ではなく本土ゼネコン振興策になっている。

 また、北部特別振興策で10年間で1000億円、それとは別に基地所在市町村には10年間にわたって年間100億円が下りてきたが、どこも振興していないという現実がある。むしろ交付金でつくった施設の維持管理で自治体の首が回らなくなり、再編交付金をもらい続けなければならなくなった。

 わかりやすく例えると、自転車を使っていた人が「高級車がほしいか?」といわれて、もらったのはいいが、自転車のときには必要なかったガソリン代、車検代、自動車税、自動車保険料、駐車場も必要になって最後に破綻してしまうようなものだ。自転車に乗っていたら起きなかったのに、余計なお金をもらったことで、余計にお金が出ていくことになって破綻していくという経験済みのパターンに西之表市が陥らないようにしなければならない。地域振興にとって、身につかない余計なお金をもらわないことは非常に大事なことだ。

 基地交付金は、しょせんは点滴や栄養ドリンクのようなもので、貰って飲んだときだけ元気になる。だからといって毎日飲み続けるのか。まだ自分で働いて稼いだお金で肉や野菜を買って、しっかり食べておけばよかったという話になる。自分たちの体力を維持し、筋力を付けられるような事業を引っ張ってくるなり、それを主体的に作り上げなければ地域振興にはなり得ようがない。点滴に頼ったとたんにみんな施しに頼って働かなくなって、寝たきりになる。これが基地依存経済の怖さだ。

 沖縄では、知事や市長が「基地はいらない」といったりすると、一般予算が削られて防衛関連予算が増額される。そのように防衛予算に依存しないとやっていけないような予算の組み方をするのがこの国のいやらしさだ。

 今懸命に脱基地経済を図ろうとしている沖縄からすれば、「また基地がらみの点滴を受けて寝たきりになろうとする人がいるのか?」というのが、まさに現在の馬毛島・種子島の状況だ。一度寝たきりになるともう立ち上がれない。点滴を受けながらいい夢を見て、そのまま命果てるのかという話になる。このような振興策はやめた方がいいし、それにかわって自力で生きていけるものをもぎとることが地方が生きていく「しなやかさ・したたかさ」ではないか。

 その意味で名護市は「やる」とも「やらない」ともいわずに再編交付金として年間15億円をせしめている。だが、自然を破壊してこのような基地をつくらせ、湯水のごとく税金を垂れ流し、ゼネコンを太らせ、最終的にできた基地は軟弱地盤で使い物にならない可能性すらある。「それでも少しでも地域にお金が落ちてよかったね……」で済むのかどうか、その代償として何を失うのかということを冷静に検証しなければならない。

 必要なのは「良貨で悪貨を駆逐する」ことだ。島の将来を自衛隊や米軍に委ねる前に、1万3000人もの人々が暮らす島(西之表市)をどうすれば活性化できるのか、みんなが本気で知恵を絞れば必ず出てくる。東京のお台場に人気アニメ「機動戦士ガンダム」の等身大モデルを1機置いただけで年間400万人もの観客が見に来る時代だ。自然を生かした魅力的なテーマパークをつくったり、豊かな自然を生かしたこの地域ならではの振興策を進めていけば基地など必要なくなる。そこを攻撃する敵国も出てこないだろう。中国についても敵ではなく、味方にするくらいの知恵と力がある人を政治のリーダーに選ばなければいけない。

 これは馬毛島や西之表市だけの問題ではない。国が動かし始めたものを止める力は、この国の主権者にある。だが主権者たる有権者の半分が選挙を捨て、わずか25%の得票率で75%の議席を占める「四分の一民主主義」という実態であり、その政治家たちによって沖縄の民意も封じ込められてきた。戦後日本の「選挙民主主義」の限界が顕在化している。

 軍事力に依存しない解決策を論議できる国際環境をつくるためにも、選挙を「自分の地位とお金を得るための手段」としか考えない政治家を駆逐し、人格と品格を備えた政治家を選び、風格のある政治をとり戻すことが求められている。それにふさわしいリーダーを選び、地方や少数意見を尊重する国の形に変えていかない限り、国が勝手に決めて暴走したときに主権者に止める力がないということになりかねない。故郷をミサイルの標的にし、子どもたちを再び戦争に動員するような誤った選択をしない政治を地方からつくり上げていくことが必要だ。

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まえどまり・ひろもり 1960年宮古島生まれ。沖縄国際大学大学院教授(沖縄経済論、軍事経済論、日米安保論、地位協定論)。元琉球新報論説委員長。『沖縄と米軍基地』(角川新書)、『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)、『沖縄が問う日本の安全保障』(岩波書店)など著書・共著書多数。

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