沿って, Uav-jp 21/05/2022

安定のドイツ製に換装…しない! WW2イタリア国産エンジン戦闘機 用途変えて奮闘へ

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一斉に始まった新型戦闘機の開発

新型空冷エンジンを搭載したRe2002「アリエテ」戦闘機の試作MM454号機。風防は後部まで伸びたRe2000と同型で、絞られたイボ付きのカウリング形状に注目(吉川和篤所蔵)。

安定のドイツ製に換装…しない! WW2イタリア国産エンジン戦闘機 用途変えて奮闘へ

 第2次世界大戦前の1935(昭和10)年、東アフリカのエチオピアに侵攻を始めたイタリア。しかし、投入された戦闘機は木製フレームに羽布張りの複葉機ばかりで、世界の航空情勢からすると遅れていました。そこでイタリア空軍は、国内の各航空機メーカーに全金属製で低翼単葉、引き込み脚を装備した新型戦闘機の開発協力を要請します。【イタリア最強!?】デビュー遅すぎた傑作機Re.2005「サッジタリオ」 この増強プランは「R計画」と呼ばれ、それに応えたアエロマッキ社はMC.200戦闘機を、フィアット社はG.50戦闘機を開発。両機ともに採用となり、後者G.50については1938(昭和13)年よりスペイン市民戦争(スペイン内戦)でテストを兼ねて実戦投入されました。 こうして次々と新型の高性能戦闘機が生まれるイタリアにおいて、レッジアーネ社が開発したのが、Re.2000戦闘機です。イタリア語で「鷹」を意味する「ファルコ」の愛称が付けられた同機は、前出のMC.200やG.50よりも誕生は1年以上遅れたものの、他社と同様に出力1000馬力のピアッジオ製RC40型空冷エンジンを搭載し、最高速度530km/h、航続距離1400kmを記録するなど、高性能ぶりを見せつけます。 ただ、引き込み式の主脚は、いったん90度回転し後ろ向きに収納されるなど明らかに凝った造りで、MC.200などと比べて複雑な機体構造やエンジンの信頼性不足に加え、主翼内部の燃料タンクには防弾装置がないといった設計が災いし、制式採用されることはありませんでした。 しかし同戦闘機の高性能は国外で評価され、スウェーデン空軍は60機購入して「J20戦闘機」という名称で第2次世界大戦の期間中、防空用として使用。ハンガリー空軍も70機輸入した後、さらにエンジンを積み替えて192機をライセンス生産しています。

エンジン選定で翻弄され、さらに後回しに

イタリア空軍第5航空団の第102急降下爆撃航空群、第239飛行隊所属のRe.2002戦闘爆撃機。胴体下には爆弾架が、左翼上にはサルバトール型落下傘が見える(吉川和篤所蔵)。

 自国のイタリア空軍に採用されなかったRe.2000「ファルコ」ですが、開発元のレッジアーネ社は見切りをつけることなく地道な改良を続けます。 同機に搭載されたピアッジオ製空冷エンジンの性能不足を補うため、1940(昭和15)年にはドイツのダイムラー・ベンツ製DB601液冷エンジン(1175馬力)を搭載した改良型Re.2001を開発、7月には初飛行に成功しました。しかし、今度はドイツ製の液冷エンジンが技術的な問題から、フィアットやアルファロメオでライセンス生産が予定通り進まず、その影響を受けてイタリア空軍へのRe.2001導入計画は中断してしまいます。 そこでロンギ技師は、新たに開発されたピアッジオ製P.XIX RC45型空冷エンジン(1175馬力)を搭載した機体を設計します。エンジンの小型化によりカウリングは先端に向けて大きく絞った形状に変更され、空力的にも洗練されたデザインとなりました。この試作機は、Re2001より3か月遅れた1940(昭和15)年10月に初飛行を行い、Re.2000譲りの優れた運動性能と大きな航続距離を示しました。 こうしてレッジアーネ社が開発した戦闘機は、ピアッジオ製新型エンジンを搭載したことで、ようやくRe2002として自国イタリア空軍に正式採用されます。 イタリア語で牡羊座を意味する「アリエテ」の名称が付けられたRe.2002は、当初成功したかのように思われましたが、のちに燃料系統を含む多くのトラブルが見つかり、またもやピアッジオ製エンジンの信頼性不足が露呈したのです。こうしたエンジン開発のトラブルは大戦中のイタリア軍機にしばしば見られましたが、御多分に漏れずRe.2002も該当し、結局、生産計画はさらに遅れてしまいました。

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最終更新:乗りものニュース